出来心で覗いた発展場で知らない男たちに回された話
三年付き合った相手と別れて、一対一しか知らなかった俺が、ネットの噂を頼りに足を踏み入れた薄暗い発展場。見るだけのつもりだった。暗くて顔も見えない、ここでのことは外には残らない——その匿名性が、俺を壁際へと追い込んでいった。複数の男に囲まれ、衆人環視のなかで回された一夜。今でもあの饐えた汗の匂いを、ふとした瞬間に思い出す。
これは記録だ。誰に話すでもなく、ただ自分の中で整理がつかないから、起きたことを順番に書いておく。脚色はしていない。むしろ書きながら何度も手が止まる。
きっかけは、三年付き合った相手と別れたことだった。
理由はありふれていて、すれ違いだ。生活の時間帯とか、価値観とか、そういう小さなものが積み重なって、最後はどちらからともなく終わった。三十一歳、都内の中堅メーカーで営業をやっている、どこにでもいる会社員だ。男が好きだということは、自分でずっとわかっていた。ただ、相手が決まればいつもその一人とだけ向き合ってきた。発展場の類には、一度も足を踏み入れたことがなかった。怖いというより、必要がなかったのだ。
別れてから、週末に予定がなくなった。抜く相手も口実もなくなって、ただ性欲だけが行き場をなくして体の中で饐えていくような、そういう数ヶ月だった。アプリを開いても、一から誰かと話して、探り合って、関係を作る気力が湧かない。全部が面倒だった。なのに体だけは疼く。矛盾していた。
夜中にスマホで、いつもは開かない掲示板を読むようになった。匿名の書き込み。誰のものとも知れない体験談。最初は文字を追っているだけだった。それがある晩、地図アプリで「あそこ」の場所を調べている自分に気づいた。
繁華街の裏、看板も出ていない雑居ビルの地下。書き込みによれば、そこは男だけが集まる発展場だった。入り口で服をぜんぶ脱いで、下着一枚で歩き回る。顔の見えない暗がりで、名前も素性も交わさず、ただ体だけが触れ合う場所。一対一しか知らない俺には、別の星のように遠い話だった。
見るだけ、のつもりだった。
どんな場所か、ただ確かめたかった。確かめて、こんなのは自分には縁がないと笑って帰る。そのつもりで、俺は階段を下りていった。
地下に下りると、空気がまず違った。
饐えた汗の匂い。冷房と人いきれの混じった、なまぬるい湿気。受付らしき小窓で千円札を渡すと、無言でロッカーの鍵を渡された。会員証もいらない。本名も聞かれない。店員も俺と目を合わせない。それがかえって、ここでは誰も誰の顔を覚えないのだという暗黙のルールを教えていた。
渡された番号のロッカーの前で、言われるまま服を脱いだ。シャツも、ズボンも、全部押し込む。奥から出てきた人影が、みんな下着一枚なのを見て、ここではそういうものなのだとわかった。パンツ一枚で通路に踏み出す。それだけで、もう見物人のつもりではいられなくなっていた。冷えた空気が、剥き出しの肌を撫でた。
匿名性。それが、来てしまった俺への唯一の言い訳だった。ここでのことは、外には一文字も残らない。明日の俺とは関係ない。そう自分に言い聞かせた。
通路は、ほとんど真っ暗だった。
足元に申し訳程度の常夜灯があるだけで、壁伝いに進まないと方向もわからない。目が慣れてくると、ところどころに人の輪郭が浮かんでくる。壁にもたれて立っている影。通路の奥でこちらを見ている影。みんな黙っている。話し声はひとつもない。聞こえるのは、空調の低い唸りと、どこか奥から漏れてくる、押し殺したような吐息だけ。
俺は壁際に立って、ただ周囲を眺めていた。
見物人だ。当事者じゃない。そう自分に言い聞かせていた。暗くて顔も見えない。ここで何があっても外には残らない。誰も俺がここにいたことを知らない。その匿名性が、奇妙な安心感になって、俺をその場に留まらせていた。
最初に触れてきた手のことを、俺はよく覚えている。
横に立った男の影が、なんの前置きもなく、俺の股間に手のひらを当ててきた。下着の上から、ゆっくりと、確かめるように。俺はびくりとして身を引いた。逃げようと思えば逃げられた——後で何度もそう考えた。なのに足が動かなかった。
問題は、そのとき俺のそこが、すでに半分硬くなっていたことだった。
見物しているだけのつもりだったのに、暗がりと匂いと、押し殺された吐息の気配に、体だけが先に反応していた。男の手のひらに包まれた瞬間、それが完全に形を変えてしまうのが、布越しに伝わってしまった。
「……っ」
男が、ふっと笑った気配がした。声は出さない。ただ、わかった、というふうに。引かなかったのが合図になったのだと、暗闇の中で、いくつかの影がゆっくりとこちらへ動いてくるのが見えて、俺はようやく理解した。拒めば引く。立ち止まれば「いい」と意味する。それがこの場所のルールなのだと、体で覚えた瞬間には、もう囲まれていた。
俺は壁際に追い込まれていた。
逃げようと半歩動いた肩を、後ろから誰かの手が押さえた。固い掌だった。労働で硬くなったような、節くれだった指。それが俺の両肩を壁に押しつけて、振り返ることすら許さない。背中に、知らない男の体温と、汗で湿った素肌が張りつく。
「待っ……、本当に、見てただけで」
「しゃべんなくていい」
耳元で、低い声が短く言った。それきり、その声も黙った。
正面からは別の手が伸びてきて、下着のウエストに指をかけた。ゆっくりと引き下ろされる。膝のあたりまで一気に落とされて、冷えた空気がいきなり剥き出しの下半身に触れた。露わになった自分のそこが、暗闇の中で、それでも輪郭だけはっきりと反り返っているのが、自分の目にも見えた。
恥ずかしさが、遅れて全身を駆け上がった。
一対一なら、相手はひとりだ。目を見て、名前を呼んで、ふたりだけの暗がりで脱がされる。それしか知らなかった。なのに今、知らない男たちの前で、勃ったものを晒している。顔は見えなくても、見られているのは確かにわかる。何人いるのかも数えられない。三人か、四人か。暗がりの中で、複数の視線が一点に——俺の股間に集まっているのを、皮膚で感じる。
「クソ……っ、なんなんだよ、これ……」
口からこぼれたのは、抗議とも呻きともつかない言葉だった。
正面の男が、硬くなったものを握った。
何の遠慮もない、慣れた手つきだった。先端を親指の腹でこすられて、腰が勝手に跳ねた。すでに滲んでいた先走りが、その手のひらでぬるりと広げられる。くち、と微かな音がした。男はそれを潤滑代わりにして、ゆっくりと扱き始めた。
「やめ、っ……こんな、おおぜいで……っ」
言葉では拒んでいた。本当に拒んでいた。なのに、扱かれるたびに腰が、自分から男の手のほうへ押し出されていく。引こうとするのに、押しつけてしまう。その矛盾を、自分でどうすることもできなかった。
横から別の手が、むき出しの胸をなで上げて、俺の乳首を探り当てた。
爪の伸びた、ざらついた指先だった。それがきゅっと摘んで、こりこりと転がす。鋭い痺れが胸から背骨を伝って下りていって、声が裏返った。誰の手かもわからない。顔も見ていない男の爪が、自分の肌のいちばん敏感なところを、好き勝手にいじっている。
「ひっ……、そこ、やめろっ、なんで……っ」
後ろの男は俺の肩を押さえたまま、首筋に顔を埋めてきた。鼻先で、汗ばんだうなじを嗅がれる。生温かい息がかかって、ぞわりと鳥肌が立った。男の体臭が——煙草と、汗と、何かの整髪料の混じった匂いが、鼻の奥に流れ込んでくる。饐えた汗の匂い。それが嫌なはずなのに、その匂いに、頭の芯が痺れていくのがわかった。
複数の手だった。
正面の手が硬くなったものを扱き、横の手が乳首をいじり、後ろの手が脇腹と尻を撫で回す。どれが誰の手なのかも、もうわからない。匿名の手が、何本も同時に俺の体の上を這い回っている。一人の人間に触られているという感覚がなくて、ただ「大勢に開かれている」という感覚だけがあった。人格を剥がされて、ただの体として扱われている。それが、恐ろしいほどに——羞恥を、別の何かに変えていく。
見られている。
その一点が、どうしようもなく頭から離れなかった。暗くて顔も見えないのに、いや、顔が見えないからこそ、自分が見せ物になっているという事実だけが、剥き出しで残る。複数の視線に晒されながら勃たされている自分。その状況そのものに、体が反応してしまっていた。一対一しか知らなかったはずの俺が、だ。
「うっ……、見るな、っ、見るなよ……」
そう言いながら、扱かれて、漏れる呻きを抑えられない。建前は完全に崩れていた。
膝が、がくがくと震え始めていた。
立っていられなくなった俺を、男たちが壁を背にしたまま、ずるずると床に近い体勢へ崩していった。誰かが俺の片脚を持ち上げる。そこで初めて、これから何をされるのかを、俺ははっきりと理解した。
「待て、っ、それは……っ」
受け慣れていなかったわけじゃない。前の相手とは何度もしていた。それでも、知らない男に、暗闇で、複数の視線に晒されながら開かれるのは、まるで別物だった。必死で腰を引いた。けれど後ろから押さえる手は緩まず、片脚を持つ手も離れない。
唾液を塗りつけられる感触があった。
冷たい指が、後ろの窄まりに触れて、何度も唾を足しながら、ゆっくりと表面をなぞる。ぬめった指先が、固く閉じたそこを、押すのではなく、撫でて、慣らそうとしている。それでも、知らない異物が触れる違和感に、全身が強張った。
「力、抜けよ」
低い声がそう言った。抜けるわけがなかった。怖くて、勝手に締まる。
指の先が、少しずつ、ほんの第一関節だけ沈んでくる。受け慣れているはずなのに、それでも引き攣れるような圧迫感があった。「うあっ……」と漏れた声は、さっきまでとは違う、悲鳴に近いものだった。男はそこで止めた。すぐには進めなかった。また唾を足し、指を浅く出し入れして、こじ開けるのではなく、開くのを待つように、時間をかけた。
その段取りの泥臭さが、かえって現実だった。
一気には入らない。深呼吸を促され、こわばりが少しだけ緩んだ隙に、指がまた数ミリ進む。その繰り返し。痛みと違和感の合間に、ほんの時々、覚えのある熱が混じる瞬間があった。前の相手で開かれた回路が、相手が誰でもないこの場所でも、勝手に反応してしまう。それが、何より怖かった。
正面では、別の男が立ち上がって、勃起したチンポを俺の口元に押し当ててきた。
熱くて、硬くて、皮が張り詰めていた。暗くても、それが何なのかはすぐにわかった。先端から、饐えた汗とは違う、もっと生々しい雄の匂いがする。唇に擦りつけられて、口をこじ開けるように押し込まれた。
「……っ、ん、んぐ……っ」
それが舌の上を、喉の手前まで沈んでくる。えずいて、口の端から唾液が垂れた。男はそれを構わず、俺の後頭部を掴んで、ゆっくりと前後に動かし始める。口を塞がれ、後ろを指で開かれる。両端から同時に貫かれて、もう抗議の言葉すら出せなくなった。塞がれた口の奥で、くぐもった呻きだけが漏れる。鼻でしか息ができず、その鼻も男の体毛と肌の匂いで埋まって、涙が生理的に滲んだ。
これが、見せ物にされるということだった。
壁際に押さえつけられ、口と尻を同時に塞がれて、それを暗がりから何人もの男が見ている。輪郭だけの影が、俺をぐるりと取り囲んで、息を詰めて見下ろしている。誰かが、唾を飲む音がした。すぐ近くで、自分のものを扱いている、湿った手の音もした。俺の口に出し入れされている様を、尻を指で広げられている様を、何人もが至近距離で観察している。その視線の重さを、皮膚のすべてで感じた。逃げ場のない圧迫感に、羞恥で、頭がどうにかなりそうだった。
なのに——。
後ろを慣らしていた指が、内側のある一点を掠めた瞬間、腰が、自分の意思とは無関係にびくりと跳ねた。
「ん゛っ……!?」
口を塞がれたまま、おかしな声が漏れた。覚えのある痺れだった。前の相手にだけ触らせていた場所。それを、名も知らぬ男の指が、暗がりで、何人もの視線の前で、的確に押してくる。気持ちいいのか、恥ずかしいのか、自分でも判別がつかない。なのに、触られてもいない俺のものの先から、先走りがとろりと溢れて、内ももを伝うのが、自分でもわかってしまった。
体が、勝手に開いていく。
さっきまで指一本を拒んでいた窄まりが、いつの間にか、男の指を二本、痛みより違和感のほうが勝つ程度に、受け入れていた。痛い。確かにまだ痛い。なのに、その痛みの底のほうから、見られているという羞恥と混ざり合った、得体の知れない熱が湧き上がってくる。それが怖くて、でも、止められない。
口を塞いでいた男が、果てた。
口の中に、生臭くて、熱くて、苦いものが広がった。咳き込んで、口の端から溢れさせる。涙と唾液と、それとが混じって顎を伝った。最低だ、と頭の隅で思った。会社で真面目に働いている俺が、こんな暗がりで、顔も知らない男に口を使われて、出されている。
それなのに、その自己嫌悪の真ん中で、後ろを探る指に、腰を押しつけている自分がいた。
挿入は、結局、最後まで深くは進まなかった。
一人の男が、後ろにあてがってきた。唾液をたっぷり足して、ゆっくりと押し当ててくる。先端が、開きかけた窄まりを押し広げる。「ぐっ……」と、内臓を圧されるような感覚に息が詰まった。男は、亀頭が収まったところで、一度止まった。それ以上はすぐには進めず、また唾を足し、浅く揺すって、馴染ませようとする。
それでも痛みが勝った。
受け慣れているはずでも、知らない相手の、知らないサイズは、すんなりとは呑み込めない。奥まで、根元までなんて、とても無理だった。男も無理に貫こうとはしなかった。浅いところで、ゆっくりと、何度も。そのたびに、痛みと、さっきの鋭い感覚とが交互にやってきて、俺はわけがわからなくなっていた。
囲んでいた影たちの息遣いが、近くなった。
見られている。挿れられているところを、繋がっているその一点を、暗がりから何人もが見下ろしている。誰かの手が、横から伸びてきて、繋がった部分を確かめるように指でなぞった。男のものを咥え込まされた窄まりの縁を、知らない指がぐるりと辿る。その感触に、ぞわりと産毛が逆立った。視線が、傷口に塩を塗るように刺さって、けれど同時に、どうしようもなく体を昂らせる。羞恥が快感とすり替わっていくこの感覚を、俺はうまく説明できない。腹につくほど反り返った自分のものが、先走りを糸引かせて、誰の手も借りずにびくびくと震えているのが、暗がりでも見えた。見られていることそのものに、勃たされていた。それが、たまらなく惨めで、なのに止められなかった。
後ろの相手が、一度抜けた。
終わった男が離れると、すぐ次の影が背後についた。サイズも、入れ方も、腰のリズムも違う。また亀頭で止まり、また唾を足され、休止が入り、深呼吸を待って、押し入ってくる。その段取りが繰り返されるたびに、俺はもう抵抗する気力もなく、ただ壁に縋って受け入れた。誰かが背中に手を置き、誰かが太腿を撫で、誰かが髪を掴む。常に、複数の手が俺のどこかに触れていた。ひとりにじっくり愛されるのではなく、大勢に少しずつ削られて、回されていく。それは、俺がそれまで「セックス」と呼んでいたものの、いちばん遠いところにある何かだった。
「もう、無理……っ、出る、出るからっ……」
誰にともなく、そう口走っていた。情けない、上ずった声だった。なのに、腰は自分から後ろの相手に押し付けていた。もっと、奥に。言葉と体が、完全に裏返っていた。
後ろを浅く突かれながら、前を別の手に扱かれて、俺は呆気なく達した。複数の手に体じゅうを押さえられ、暗がりに晒されたまま、自分の腹に向かって吐き出した。腰が、何度も痙攣した。声を殺すこともできなかった。
放った瞬間、囲んでいた影たちの息が、はっきりと詰まったのがわかった。誰かが小さく喉を鳴らした。俺が吐き出すその一瞬を、何人もが息を呑んで見届けていた。達するところを、繋がったまま晒される自分を、暗がりの全員に観察されている——その認識だけで、終わったはずの腰がもう一度びくりと跳ねて、絞り出すように余りを吐いた。見られながら果てる。その背徳が、快感の最後の一滴まで搾り取っていった。
達した瞬間に流れ込んできたのは、快感だけじゃなかった。
猛烈な、吐き気のような自己嫌悪だった。
賢者タイムというには、あまりに急で、あまりに深い後悔。男たちの手は、果てた俺からあっさりと離れていった。役目は終わった、というふうに。後ろにあてがわれていたものも、抜かれた。窄まりから、唾液とも何ともつかないものが、つうっと垂れる感触があった。誰も何も言わなかった。影たちは、また暗がりへと散って、何事もなかったように壁にもたれた。来たときと同じ無言で、誰も名乗らず、誰も礼を言わず。
俺は、膝をついたまま、しばらく動けなかった。
ロッカーで服を着るとき、手が震えていた。
後ろが、まだじんじんと熱を持っていて、座ると違和感があった。トイレの個室に入って、必死で奥のものを絞り出した。生臭いものが、ぬるりと出てくる。ゴムを着けていたのかどうか、暗くてわからなかった。それを延々と拭いた。拭いても拭いても、汚れが落ちない気がした。口の中にも、まだあの苦い味が残っていて、何度うがいをしても消えなかった。後ろの縁が、ヒリヒリと痛んだ。
階段を上って地上に出ると、夜の街は、何も変わらずそこにあった。
会社員の俺がいて、別れた相手のいない部屋があって、明日も普通に出社する日常がある。地下のことは、本当に、外には何も残らなかった。誰も知らない。証拠も、記憶を共有する相手もいない。顔も見ていない、名前も知らない男たちと、俺は確かにあれをした。なのに、それを証明するものは、俺の後ろに残った鈍い熱と、口に残る苦さだけだった。
二度と行かない。
そう決めて、俺は家に帰った。シャワーを浴びて、何度も体を洗った。一対一しか知らなかった俺が、ひと晩で、何人もの男に回された。その事実を、湯で流してしまいたかった。
——それなのに。
今でも、ふとした瞬間に、あの暗がりを思い出す。
満員電車の中で、知らない男の体温がふいに背中に触れたとき。残業帰りの夜道で、饐えた汗の匂いがどこからか流れてきたとき。体の奥が、勝手に、あの夜を思い出して、疼く。見られていた、晒されていた、複数の手に回されていた——あの感覚を、体が忘れてくれない。一対一の、優しい暗がりを、もう物足りなく感じてしまう自分がいる。
俺はまだ、あそこには行っていない。行っていない、と書いておく。
ただ、夜中にスマホを開いて、地図アプリで、あの雑居ビルの場所を確かめている自分に、最近また気づいてしまった。指がそこで止まる。画面を消す。それでも、また開く。
これが、始まりだったのか、終わりだったのか。
俺には、まだわからない。